· 

11/26

アッバス・キアロスタミ監督『24フレーム』静止した写真は作者からも切り離されて独立した創作物となる。その創作物はただ独りたたずむのであるが、その中の風景が動き出す。動物たちがやってくる。それは誰も見ていない風景であり、我々の生きる時間と同時にどこかで流れている時間である。誰も見ていない風景。映画であればカメラの後ろに作者を感じさせるものだが、この映画にはそれがなく、あるのは静寂の時間。実際には多くの、少しやりすぎなところもあるくらいの作為的演出があるのだが、それでもその静寂は揺るがず、無人感、自分が目を離した隙に展開される世界、みたいな決して見ることのできないと思わされる風景が、時間が続く。そこにあるのは日常、と言いたくなるような事件の起こらない時間であり、しかしながらそれ故に、ふと起こる些細なことが、その時間の大事件としてそこにいる動物たちやそれを見ている私たちを驚かせ、それがまさにストーリー、起承転結、音楽で言えばメロディやリズムのように機能し、紛れも無い物語映画としてひとつひとつの写真を、映像を、我々に刮目させ、「おもしろい」と思わせる快感を作り上げていっている。これは、最もシンプルな映画の面白さのひつとであると言えるのではないかと、見ていてつくづく思った。誰も見ていない時間。我々の日常とは流れ方が異なる、特別な時間。それは作為的に作られたものだけれども、それだから故に心地良いという、人間の作り上げた夢のような時間。このような日常とちがう時間の流れが私たちの中にありうるから、私たちは生きていけるのだ、と思い出させてくれる尊い時間。それこそが映画に求めていることのひとつであり、根源的な映画の魅力、あるいは芸術の魅力、と言えるのではないかと、この映画を見て、奇妙な、変わった作品を24作品見て、魅了されながらも考えていた。アラスカの写真や文章で知られる星野道夫さんが友人の言葉として紹介していた、「自分が東京で忙しい生活をしているときに、もしかしたら、今この瞬間、ザトウクジラがあの海で飛び上がっているのかもしれない、と思えることがすごく嬉しいんだ」という言葉。映画も、舞台も、絵画も、写真も、文章だって音楽だって、そういう時間を人に提供できるんじゃなかろうか。それって結構、生きる上で大事なものになるんじゃなかろうか。などと思っておりました。