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演技というフィクションの世界にいてこそ、自分の感覚が存分に発揮できる、自分全開でいられる、という側面がある。何かに自分を預けている、それは役、それは脚本、それはフィクション、それは現実以外の何か、あるいは現実そのもの。そういったものに自分を預けていられるからこそ存分に自分の感性を発揮できるのではないだろうか。社会で積み重なっていく様々から自由な自分、それこそが自分が自分について責任を持てる自分、なのかもしれない。自分が生まれた意味は自分しか定義できない。それが仕事と結びついているという側面は大いにある。今日は昼、蕎麦屋でビールを飲んだ。美味かった。